【再録:英語多読】多読のとばし読みと和訳について

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はじめに

15年ほど前に書いた記事の再録です。100万語達成時にいただいたコメント

『英語力upのために多読しているが微妙なニュアンスを知りたかったり固有名詞を把握したかったりで「わからないところは飛ばす」がなかなかできず、翻訳本も買ってしまいどちらを先に読めばいいのか悩む(先に翻訳でお話が分かっていた方が読みやすいが感動もなくなってしまう)』(要約)

に対し書いたもの。

今も参考になる部分があるかもと思い、できるだけ当時の文章に近い形で載せておこうと思います。

多読をやっていて感じること

英語から日本語に訳した時点で文章は別物になってしまうのではないか、ということです。

時々、これは翻訳できないと感じるニュアンスを持った文にも出会います。

私の場合、洋画の字幕や翻訳本などで雰囲気ぶち壊しな和訳ものが嫌で、

「とにかく英語を英語のまま理解できるようになれたら!」というのが多読を始めたきっかけでした。

(もちろん、すばらしい邦訳というのもあります。それでも訳者のフィルタを一枚通すとやはり変化は生じると思う。)

随分昔NZでホームステイしたことがあって(英語しか通じない状態・・・単独で渡航した為会話では苦労しました)、

英会話の教室などに行った時もそうですけれど、ナチュラルスピードの英語を聞きとるには英語をきいたまま頭から順に理解しないといけないですよね。

日本語に訳している暇はないのです。

聞いたままでほとんど理解できればいいですけど、そうでなければ細かいニュアンスはおいといて必死で大意をつかもうとする。

前後関係から何の事を言っているのかつかもうとします。

そうして「あ、この言葉、こういう意味だ」ってひらめいたら、ちょっとやそっとじゃ忘れません。

感覚で体得したってことでしょうか。

多読って、要はこれと同じことをしようとしているんじゃないかと思います。

多読をしていると時には単語レベルではなく、文章1つまるまる意味がわからないということも。

最後のオチの意味がつかめなかったりして、すっごくモヤモヤするのですが「これを一つ一つ調べても多分身にはつかないし、自分に力がついてリベンジできるまでこの文章パス!」と割り切って進むようにしています。

細かい部分で悩むより、その分 量を読んだほうがいのではないかなあ。

そうやって以前苦労した本も、多読を続けた後で読み返すと理解力が上がっているという話を私よりも長く多読を続けている方から聞いたことがあります。

わからない部分にこだわると、本筋を見失ってしまうかも。

和訳について

邦訳版と洋書を両方読む場合、私はほとんど邦訳版が先ですね。

その作品が気に入った場合に「原書で読んでみたい」と思い洋書に手をのばします。

洋書で先に読めば、日本語で読む必要を感じなくなってしまう・・・。

英語で読むためにあらかじめ日本語で筋がわかっていたら安心だけど、感動もなくなってしまうということであれば、シマウマ読みを試してみるのもいいかもしれせん。

シマウマ読みとは・・・邦訳版でまず1巻(あるいは1章)を読み、英語版で2巻(あるいは2章)を読むなど、ひとつの物語で日本語と英語を交互に読み進めること。

あるいは好きな映画の原作を読んでみるとか(映画とちがうシーンもあったりするので)。

日本語(邦訳)に頼るより英語を英語のまま受け取るように多読されたほうがよいかも、と思いました。

英語力アップを目指すなら、日本語を介さないで英語をスピーディに処理する能力をつけないといけないですし。

(英語力upでなく純粋に洋書を楽しんでおられる方にも多読にはあって損はない能力ですよねきっと。)

自分の読速(1分間に何語読めるか)を測って、一度英語の処理力を測ってみるのもいいですね。

80語/分 を下回ると無意識に日本語に訳している可能性があるといわれています。

そうだとしたら、思いきってレベルを下げ「楽しくスラスラ読める」本に選びなおしたほうがいいかもしれません。

あまり上手くまとめられなかったけれど、思うところを書いてみました。

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